cancerと一緒 子宮体がん G1 ステージ1a

まだ生きてる 生きなきゃいけない リアルな問題

癌がわかるまで④ 子宮内膜全面掻爬

激痛の前処置が終わって、冷や汗をかきながら必死に痛みに耐えていました。

しばらく待合で待機すると、ようやく病棟へ案内されました。

病室で術着に着替え、術後に着用するために持参した生理用ショーツ

ナプキンを付けておくよう指示され準備。点滴のルート確保。

ゆったりとした居心地の良い病室でしたがリラックスとは行きませんでした。

多分がんじゃない。内膜増殖症かなんかで、ホルモン治療だ、きっとそうだ・・・と

自分に言い聞かせていました。内膜を全面掻爬するんだから、終わったらきっと、

鬱陶しい不正出血から解放されて趣味のロングライドを再開できる。

温泉やプールも我慢しなくて良い。早く終わらせたい。でも怖い。

寝ていても良いとのことでしたが、寝る気にもならず、悶々と手術までは2時間ほど待機しました。

 

手術室へ移動 麻酔

待つのもいい加減飽きた頃、手術の開始を告げられました。

病室からつながっている処置室へ移動。

処置室には、前処置をしてくださった医師と主治医の女医さん、看護師さん1名が待機していました。

痛みの不安を訴えていたので、途中覚醒しないようにしっかり麻酔をかけるから

安心するように説明されました。

自力で手術台上がり、麻酔の開始。私は麻酔の効きがあまり良くないので、すぐに意識が

落ちたというよりは、ゆっくり眠る感じでした。

 

麻酔から醒めて

意識が回復。処置室で姿勢は直されていて、ショーツは履かせてもらった状態。

すぐに起きあがろうとして止められました。

看護師さんの介助で手術台から下り、医師にお礼を言ってから病室へ戻りました。

当然ですが、処置中の意識はありません。目が覚めたら下腹部がズキズキ痛い違和感だけが

体に残っています。鎮痛剤の処方が必要か看護師さんに聞かれたので、お願いしました。

(が、その後鎮痛剤が来ることはありませんでした( ´△`))

麻酔が完全に切れるまでベッド3時間程度、病室で待機。

横になってうとうとしながら、でも眠ると呼吸が低下するみたいで、アラートが鳴って

看護師さんが駆けつける悪循環。

申し訳なくて眠るのを諦めて、眠気と戦いました。

最初の2時間は辛かったですが最後の1時間は起き上がって持参した本を読みながら

過ごしました。

内膜掻爬のため点滴のルート確保 今見ると浮腫んでいたな〜😓

癌がわかるまで③ 激痛! 子宮内膜掻爬・・・(の術前処置)

2023年12月中旬。子宮全面掻爬のために、転職して初めて一日休みを取りました。

長い1日でした。

受付をして、まずはコロナ感染の有無を確認するための抗原検査。

初めての抗原検査は痛いっちゃ痛かったんですがその後に続く検査に

比べればどうということはなかったです・・・

問題はその後。

まずは担当医が変わりました。お若い女医さんで前回とは違う医師。

外来で子宮口を開く処置をして、病棟で全身麻酔下で子宮内膜の掻爬を行い

麻酔が切れたのを確認して夕方頃、退院の日帰り手術と、本日の流れを

説明されました。

 

前処置を外来で?!

説明を聞いて、事前の説明と違うと驚きました。

前回、内診に痛みが伴うようなので術前の子宮口を開く処置も麻酔下で行うって

説明されていたのに・・・

もらっていた手術の説明書面を見せると、先生はどこかへ連絡。

何やら偉い先生も登場して、日帰り手術の場合、長時間の麻酔ができないから

やはり外来で子宮口を開く処置をするとのこと。

話違う・・・痛いの嫌だぁ〜〜〜と思いながらも、今更キャンセルできないです。

前の先生はどこに行ったんだよ〜〜 全部の処置を麻酔下でやってもらえるから

全面掻爬しようと思ったのに。朝から心が折れました。

ここでキャンセルして、また別の病院探して検査・・・となると

また仕事を休まなければならず、配属プロジェクトが楽しくて仕方なかった頃なので

それだけは避けたい。

泣く泣く内診台へ上がりました。

 

激痛の前処置

むっちゃ痛かった。痛くて痛くてたまらなかった。

偉い先生が痛くないように丁寧にやるからと言って処置してくれましたが

痛いもんは痛い。

子宮口を開き、器具で子宮そのものをを抑えて引っ張られる・・・

本当に痛い。体がんの検査の苦痛にプラスして子宮口を開いたままにしておくために

詰め物的なものをしているので違和感もすごい。

タンポンのお化けを挟んでいる感じで、今思い出してもゾッとする経験でした。

坐薬や麻酔のゼリーとか、もう少し痛みに配慮してもらえないだろうかと

泣きたくなりました。

処置が終わったあとはフラフラで、看護師さんに脈拍を確認されてから

内診台を降りました。

痛いのはこれで終わりだから。よく頑張ったと言われましたが

痛いもんは痛い・・・怖い経験でした。

 

処置が終わって、病棟に向かうのもフラフラでした。

癌がわかるまで ② かかりつけ医から大学病院へ

紹介状をもらってから数ヶ月。

やっと研修が落ち着いた頃に大学病院を受診しました。

日々の研修が楽しく、学びが多く、なんだかんだと理由をつけて

先延ばしにしていた自覚はあります。

もし病気だったら・・・という可能性から目を背けていました。

不正出血も微々たるもので、いずれ治るだろう。

このところ大出血はしていないから、大丈夫。と過信していました。

バカだな〜とは思っていますが、この時点で癌がわかっていたら

病状はともかく、仕事はもっと酷いことになっていた気がします。

(・・・それはまた後で)

 

紹介状を窓口に渡して、初診の手続き。

以前に作った診察券を紛失していたので再発行手続きも同時に行いました。

婦人科での診察では内膜は厚い。画像の感じでは癌ぽくはないから内膜増殖症と思われる。

念の為、内膜を全面掻爬するということになって、その日のうちに予約を入れました。

麻酔下での処置なので採血や心電図などの検査をして、帰宅途中、母から電話がありました。

今回の検査のことは実家はおろか、誰にも告げていません。(Xで呟いたくらい)

相変わらず勘が良いな〜と思いながら、日帰り手術をすることを告げました。

特に立ち会いはいらないと告げるも、心配だから立ち会うと言って聞かない。

心配されるのはとても苦手で、何度も大病している母に負担はかけたくない。

父と妹には頼れないから、何かあると必然的に母を頼らざるを得ないジレンマ。

結局、立ち合いではなく処置が終わる頃に来院するということで手を打ちました。

 

大学病院の初診から数日後。初めてプロジェクトへの参画が決まりました。

正式な参画の前にキャッチアップのための時間があって、本当に毎日

充実していました。年が明けたら、正式にアサイン。楽しみで仕方ありませんでした。

年内の全面掻爬の手術をして、癌の疑いをスッキリ晴らしたら

あとはお仕事に集中できる!と。

11月中旬から掻爬の日帰り手術を行った12月中旬までの1ヶ月間は

転職して良かった。仕事が楽しいと心から思えた期間でした。

 

癌がわかるまで ① 子宮内膜異常に対する不安と決意

2024年夏に新しい会社に入社してしばらく経ち、長い研修期間が終わって

アサインがあるまでアベイラブル(待機)状態になった頃でした。

かねてより予定していた大学病院を受診しました。

 

紹介状はかかりつけのクリニックでもらいました。

生理不順と不正出血が気になって受診しており、超音波では子宮内膜が厚くなっている。

大丈夫だとは思うが念のため体がん検査をした方が良いかもしれないとのこと。

以前子宮筋腫の手術でお世話になった大学病院への紹介状を作ってもらいました。

 

クリニックで検査しなかった理由

出産経験がないため子宮口が狭く検査は激痛を伴います。

以前、別のクリニックで事前確認なしでいきなり体がん検査を行われ、あまりの

激痛に内診台から降りることができなかった経験があり、どうしても検査に抵抗が

ありました。

当時のかかりつけ医には、その事情を話してあったので麻酔下で検査対応できる

大学病院の受診を勧めてくれました。

 

婦人科検査について

少し逸れますが、婦人科の検査って苦痛と羞恥心がとてつもないと思います。

感じ方は人それぞれだとは思いますが・・・痛みの部分だけでももう少し何とかならないかと。医療者の皆さんにはとても感謝しているけど、でも痛いものは痛いんです。

激痛で出血もして、もうやりたくないって検査の受診を躊躇う女性は少なからずいると

思うんです。何とかならないものでしょうか。

 

 

もともと月経が重く過多月経気味であり、不正出血もあまり気にならず趣味の

ロードバイクに乗るのに制約があって嫌だな〜程度で大病が隠れているとは

思いもしませんでした。

年齢的にもそろそろ更年期かと軽く考えていました。

内膜増殖症でホルモン治療になるか、もしくは外科的処置か・・・

手術だったら大事だな〜と呑気に思っていました。

異業種への転職ということもあり、アベイラブルであっても資格の取得や、

業務関連の学習が楽しくてそちらに興味が集中して、自分のことはどうでも

良かったのが正直なところです。

 

もう一つ。

癌になるなら手がつけられないところまで見つからず、辛い治療をしないで

速やかに終末医療に入りたい・・・という希死念慮みたいな意識が常に側にあります。

癌を患う人が周りに何人かいて、寛解した方も、残念な結果となった方もいます。

天涯孤独ではないけれど、独身者で自分の生活基盤を全て自分一人で完結させている私は

彼女達のように闘病することはできないだろうという諦めです。

自己責任と言われ続け、自分で自分の生活を支えられなくなったら速やかに退場したい。

それは今でも変わらず思い続けています。

だからもし癌だとしても、発見はできるだけ遅い方が良い。

この時も、そう考えていたわけです。

 

がん・・・になっちゃった・・・

決して順風満帆な人生ではなかったと思います。

ロスジェネとか氷河期とか、そう括られる世代。

独身子なし。それでも人並みでありたいと、頑張ってきた。

しんどい会社を2社経験して、3社目で上がらない給料と待遇だったけど

正社員として16年勤務し、新しいキャリアを目指して4度目の転職。

転職してやっと人並みとなった給与に安堵し、未経験職を学びながらキャリア形成を・・

と思った途端に癌に罹患しました。

 

子宮体がん G1 術前ステージはa1

癌としてはごく初期の、いわゆる顔つきの良い癌。

それでも、すでに色んな困難に直面しています。

自分ではどうしようもない、色んなことに振り回されて、どうにもならない日々。

まさ手術前からこんな目に遭うとは。

 

今は生々しく記録を残しておこうと思って書き綴ります。

誰にも吐き出せない困惑と恐怖と不安。

いつか笑って読み返すために。次のステップに進んでいけるように。